「ポジティブな批判」という原則を?Bに

以下の記事は、批判は批判でも「Aじゃダメだ」というコメントを避けて「Bならどうか」というコメントを書くよう努めてみてはどうか、という主張です。id:otsuneさん「前向きで善人なコメントだけをすればみんな幸せだと思わないか?」というような意味のムラ社会文化全開な提言とお書きになっていますが、私が思うに世の中の発言マトリックスは:

前向きな善人 後向きでアレな人
ムラ とにかく「Aが良い」と言えばみんな幸せなのだ、嫌なら去れ 「Aはダメだ」「Aはダメだ」「Aはダメだ」「Aはダメだ」
2.0 Aが嫌なら「Bならどうか」とか言ってみると良いことがあるかも 「俺はダメだ」「俺はダメだ」「俺はダメだ」「俺はダメだ」

のようになっていて*1、前向きな善人にもムラ人と2.0人の二種類がいるはずなのです。私は前向きな2.0人になりたいし、?Bには前向きな2.0フィールドを提供してほしい。しかし、現状では?Bに蓄積された批判コメントの多くが後向きなムラ社会を形成してしまっています(単に同調を得るためだけの批判をムラ文化と呼ばずして何をムラと呼べば良いのでしょうか!)。がっかりです。凹みます。ぺこぺこです。でも、大丈夫。後向きムラから前向き2.0までの距離は見掛けほど遠くありません。ほんの一歩を踏み出すだけで辿り着けるのです。
さて、?Bに批判コメントを書き込む人物の行動と思考の流れは、およそ次のようになるでしょう:

  1. 自分の意見に合わない記事を読む
  2. 「ここがダメだ(Aじゃダメだ)」と思う
  3. 「こうすればどうか(Bならどうか)」と思う
  4. コメントを書き込む

ここで不思議な現象が起きます。?Bにおいて4で書き込まれるコメントの多くが、3をベースにした「Bならどうか」という意見ではなく、2をベースにした「Aじゃダメだ」という意見になっているのです。酷いときには「ダメだ」という意味のことしか書かれていません。言うまでもなく、「Aじゃダメだ」という意見は「ダメだ」という意見よりも優れており、「Bならどうか」という意見は「Aじゃダメだ」という意見よりも優れています。

花子「どうしてあなたはわざわざ劣った意見を書くの?」
太郎「面倒だから。いちいち3の段階まで考えてらんないので、2の時点で書いたんです」
花子「単なる愚痴ならチラシの裏っていうかプライベートモードにすれば?」
太郎「いや、公開することに意義があるのですよ。集合知というやつです。
   それが2.0の真髄なのです」

残念ながら太郎は間違っています。集合知というのは3の意見が集まってこそ機能するシステムだからです。2のような意見が集まっても鬱が集積するばかりで何も生み出しません。

太郎「何を発言したって良いじゃないですか。
   記事を公開したからには、誰にも批判を止める権利なんてないんですよ。
   それに、僕はブクマ職人たちのキレの良い悪口芸を楽しみにしてるんです」
花子「あなたが何を楽しみにしていようと、それが悪いなんて言わないわ。
   でも、思い出してみて……まだ?Bがなかった、あの頃のことを。
   一生懸命頭を捻って、たったひとつの批判エントリを?Dに投下していた頃のことを」
太郎「……」
花子「言いにくいんだけど……あなた、最近、バカになってるわよ。
   分かってる? ほんの少しの労力でコメントを乱発できる?Bは21世紀の麻薬なの。
   あなたには既に中毒症状が出ている……思考力の低下、自己批判能力の欠如。
   元々の持論と矛盾しない記事に同意して、そうでない記事を批判するだけの反射機械。
   新しい情報を毎日のように仕入れているのに、あなたは決して成長しない」
太郎「うるさい!
   ダメな記事にダメだってコメントを付けて何が悪い?
   的外れだから的外れって書いて何が悪い?」
花子「本当にダメだったの? 的外れだったの? 違うでしょ?
   あなたはそれを理解できなかっただけ。
   分からないって書くと格好悪いから、訳知り顔で『印象論にすぎない』なんて書いたのよ」
太郎「はっきり言えよ! ネガティヴな言及をされるとイライラするって。
   そうすれば少しは考えてやるから。
   さあ、さあ、さあ!」
花子「言うわ。だから、あなたも言って――あなたが隠していること。
   イライラするのは自分が原因なのかもって本当は気付いているのに、
   面倒だからって見えないふりをしていること。
   記事を書いた人やシステムのせいにしていること」
太郎「……」
花子「今ならまだ遅くないわ。
   もう少しだけ時間を置けば、記事を書いた人の考えを理解できるはず。
   賛成はできなくても、理解はできるはずよ。
   そのとき、あなたはきっと『自分の考え』を持っている。
   ?Dエントリにするほどの『意見』ではないけれど、確かにあなた自身の『考え』を。
   それから、改めてコメントを書いてみて。
   たった100文字しかないけれど……あなたならできるわ。
   一年前、?Dを始めたばかりのわたしに、こう教えてくれたあなたなら」

――『建設的ってのは、何も仰々しいものじゃない。ちょっとした想像力があれば良いのさ』

――と、脱線はさておき、そもそも冒頭の2と3は同時に生じる思考なのではないかと思うのです。「ここがダメだ」と感じるのは「もっと良い考え」が自分の中にあるからではないのか、と。だとすれば、素直にそれを書けば良い――「A(100文字)がダメなのでB(100文字)にすれば良い」と考えているときに、Bを捨ててAだけで100文字を埋めるいわれはありません。むしろAを捨ててBだけを書く方が粋です。「嫌いなもの」を批判する代わりに「好きなもの」を表明しようという指摘は以前からよく聞きますし、最近ではid:book3307さんがお書きになっていますね。ブレインストーミングの原則を御存知の方なら、この基準は明らかなのではないでしょうか。
適当な?Bエントリのコメント欄を眺めれば、どれがレベル2(「Aじゃダメだ」)のコメントでどれがレベル3(「Bならどうか」)のコメントなのか、誰にでも分かります。そして、そのコメント欄がレベル3のコメントで埋まっている様子を想像してみてください。もし、そんなエキサイティングな状況を想像してなお「多様性の欠如」だとか「利用法の制限」だとか感じてしまったなら、気を付けましょう――あなたは既にハテブフェタミン(化学式:?10B15N)に冒されています。
あと、来年の抱負を決めました――「もう2.0って言わない」

*1:ムラ=同調主義、2.0=多様化系という基準で分けています。2.0の「俺はダメだ」×nは客観的に記述すると「太郎はダメだ」「次郎はダメだ」……と多様化することに注意。